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ヴァリャーク (ミサイル巡洋艦・2代) : ミニ英和和英辞書
ヴァリャーク (ミサイル巡洋艦・2代)[よ, しろ]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
ミサイル : [みさいる]
 【名詞】 1. missile 2. (n) missile
巡洋艦 : [じゅんようかん]
 (n) cruiser
: [かん]
  1. (n,n-suf) warship 
: [よ, しろ]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 

ヴァリャーク (ミサイル巡洋艦・2代) : ウィキペディア日本語版
ヴァリャーク (ミサイル巡洋艦・2代)[よ, しろ]

ヴァリャークロシア語:ヴァリャーク)は、ロシア連邦ミサイル巡洋艦()である。1164.1号計画「アトラーント」型(スラヴァ級)ミサイル巡洋艦の3番艦。
艦名は「ワリャーク」とも表記される。''ヴァリャーク)は、ロシア連邦ミサイル巡洋艦()である。1164.1号計画「アトラーント」型(スラヴァ級)ミサイル巡洋艦の3番艦。
艦名は「ワリャーク」とも表記される。
== 概要 ==
ヴァリャークは、1979年7月31日ウクライナ共和国ニコラーエフ61コムナール記念工場で起工された。工場番号は2010で、建造当初の名称は「ウクライナ」という意味のチェルヴォナ・ウクライナチルヴォーナ・ウクライーナ)であった。この名称は、第二次世界大戦で戦没した軽巡洋艦の名称を受け継いだものであった。〔元来はウクライナ語の名称で正しい綴りはであり初代艦はこの綴りを用いているが、2代艦についてはロシア語化したを艦尾に記している。〕チェルヴォナ・ウクライナは、1982年11月5日にはソ連海軍に登録され、1983年8月28日には進水1989年12月25日には竣工した。
本艦は、艦対艦ミサイルが、2番艦までのP-500「バザーリト」に代わり、バザーリト改良型で射程700 kmのP-1000「ヴルカーン」が搭載されている。
1990年2月28日にはソ連海軍太平洋艦隊に編入された。ソ連が崩壊するとそのままロシア海軍に委譲された。しかし、ソ連の崩壊とウクライナの独立により「赤いウクライナ」という名称がイデオロギー的にも国際関係的にも好ましくない名称となったため、1996年2月9日にはヴァリャークと改称された。この名称は、建造が中止された重航空巡洋艦から譲り受けたものであり、日露戦争の殊勲艦を記念したものであり、同艦は「親衛ミサイル巡洋艦」の称号を与えられた。ヴァリャークは、この年内にそれまで駐留していたカムチャツカ半島からウラジオストクへ回航され、太平洋艦隊の旗艦となった。
親衛ミサイル巡洋艦ヴァリャークは、その後も積極的な活動を続けた。1996年7月のロシア海軍創設300周年記念観艦式においては、受閲部隊の旗艦を務める。1997年には大韓民国日本を表敬訪問した。1999年に小規模な火災事故を起こし、ウラジオストクのダーリ・ザヴォートで修理された。
2001年には、ヴァリャークをモスクワ総主教アレクシー2世が訪問した。2002年秋には日本の海上自衛隊の50周年記念国際観艦式に参加、東京湾を訪れた。さらに、2004年には先々代の巡洋艦ヴァリャークが参加し激戦の末沈没した仁川沖海戦100周年を記念して大韓民国を訪問した。この他、中華人民共和国をたびたび訪問している。
本艦の母港は、ウラジオストク近郊のストレロク(シュトコヴァ17)基地であるが、実際には、太平洋艦隊旗艦という性格上、ウラジオストクの太平洋艦隊司令部ビルの前の埠頭に、ウダロイ級駆逐艦4隻と共に停泊している事が多い。2006年春からはウラジオストク工廠でオーバーホールを開始し、2008年1月16日より海上テストを開始、2月9日付けで正式に艦隊へ復帰した。''チルヴォーナ・ウクライーナ)であった。この名称は、第二次世界大戦で戦没した軽巡洋艦の名称を受け継いだものであった。〔元来はウクライナ語の名称で正しい綴りはであり初代艦はこの綴りを用いているが、2代艦についてはロシア語化したを艦尾に記している。〕チェルヴォナ・ウクライナは、1982年11月5日にはソ連海軍に登録され、1983年8月28日には進水1989年12月25日には竣工した。
本艦は、艦対艦ミサイルが、2番艦までのP-500「バザーリト」に代わり、バザーリト改良型で射程700 kmのP-1000「ヴルカーン」が搭載されている。
1990年2月28日にはソ連海軍太平洋艦隊に編入された。ソ連が崩壊するとそのままロシア海軍に委譲された。しかし、ソ連の崩壊とウクライナの独立により「赤いウクライナ」という名称がイデオロギー的にも国際関係的にも好ましくない名称となったため、1996年2月9日にはヴァリャークと改称された。この名称は、建造が中止された重航空巡洋艦から譲り受けたものであり、日露戦争の殊勲艦を記念したものであり、同艦は「親衛ミサイル巡洋艦」の称号を与えられた。ヴァリャークは、この年内にそれまで駐留していたカムチャツカ半島からウラジオストクへ回航され、太平洋艦隊の旗艦となった。
親衛ミサイル巡洋艦ヴァリャークは、その後も積極的な活動を続けた。1996年7月のロシア海軍創設300周年記念観艦式においては、受閲部隊の旗艦を務める。1997年には大韓民国日本を表敬訪問した。1999年に小規模な火災事故を起こし、ウラジオストクのダーリ・ザヴォートで修理された。
2001年には、ヴァリャークをモスクワ総主教アレクシー2世が訪問した。2002年秋には日本の海上自衛隊の50周年記念国際観艦式に参加、東京湾を訪れた。さらに、2004年には先々代の巡洋艦ヴァリャークが参加し激戦の末沈没した仁川沖海戦100周年を記念して大韓民国を訪問した。この他、中華人民共和国をたびたび訪問している。
本艦の母港は、ウラジオストク近郊のストレロク(シュトコヴァ17)基地であるが、実際には、太平洋艦隊旗艦という性格上、ウラジオストクの太平洋艦隊司令部ビルの前の埠頭に、ウダロイ級駆逐艦4隻と共に停泊している事が多い。2006年春からはウラジオストク工廠でオーバーホールを開始し、2008年1月16日より海上テストを開始、2月9日付けで正式に艦隊へ復帰した。''であり初代艦はこの綴りを用いているが、2代艦についてはロシア語化したを艦尾に記している。〕チェルヴォナ・ウクライナは、1982年11月5日にはソ連海軍に登録され、1983年8月28日には進水1989年12月25日には竣工した。
本艦は、艦対艦ミサイルが、2番艦までのP-500「バザーリト」に代わり、バザーリト改良型で射程700 kmのP-1000「ヴルカーン」が搭載されている。
1990年2月28日にはソ連海軍太平洋艦隊に編入された。ソ連が崩壊するとそのままロシア海軍に委譲された。しかし、ソ連の崩壊とウクライナの独立により「赤いウクライナ」という名称がイデオロギー的にも国際関係的にも好ましくない名称となったため、1996年2月9日にはヴァリャークと改称された。この名称は、建造が中止された重航空巡洋艦から譲り受けたものであり、日露戦争の殊勲艦を記念したものであり、同艦は「親衛ミサイル巡洋艦」の称号を与えられた。ヴァリャークは、この年内にそれまで駐留していたカムチャツカ半島からウラジオストクへ回航され、太平洋艦隊の旗艦となった。
親衛ミサイル巡洋艦ヴァリャークは、その後も積極的な活動を続けた。1996年7月のロシア海軍創設300周年記念観艦式においては、受閲部隊の旗艦を務める。1997年には大韓民国日本を表敬訪問した。1999年に小規模な火災事故を起こし、ウラジオストクのダーリ・ザヴォートで修理された。
2001年には、ヴァリャークをモスクワ総主教アレクシー2世が訪問した。2002年秋には日本の海上自衛隊の50周年記念国際観艦式に参加、東京湾を訪れた。さらに、2004年には先々代の巡洋艦ヴァリャークが参加し激戦の末沈没した仁川沖海戦100周年を記念して大韓民国を訪問した。この他、中華人民共和国をたびたび訪問している。
本艦の母港は、ウラジオストク近郊のストレロク(シュトコヴァ17)基地であるが、実際には、太平洋艦隊旗艦という性格上、ウラジオストクの太平洋艦隊司令部ビルの前の埠頭に、ウダロイ級駆逐艦4隻と共に停泊している事が多い。2006年春からはウラジオストク工廠でオーバーホールを開始し、2008年1月16日より海上テストを開始、2月9日付けで正式に艦隊へ復帰した。''を艦尾に記している。〕チェルヴォナ・ウクライナは、1982年11月5日にはソ連海軍に登録され、1983年8月28日には進水1989年12月25日には竣工した。
本艦は、艦対艦ミサイルが、2番艦までのP-500「バザーリト」に代わり、バザーリト改良型で射程700 kmのP-1000「ヴルカーン」が搭載されている。
1990年2月28日にはソ連海軍太平洋艦隊に編入された。ソ連が崩壊するとそのままロシア海軍に委譲された。しかし、ソ連の崩壊とウクライナの独立により「赤いウクライナ」という名称がイデオロギー的にも国際関係的にも好ましくない名称となったため、1996年2月9日にはヴァリャークと改称された。この名称は、建造が中止された重航空巡洋艦から譲り受けたものであり、日露戦争の殊勲艦を記念したものであり、同艦は「親衛ミサイル巡洋艦」の称号を与えられた。ヴァリャークは、この年内にそれまで駐留していたカムチャツカ半島からウラジオストクへ回航され、太平洋艦隊の旗艦となった。
親衛ミサイル巡洋艦ヴァリャークは、その後も積極的な活動を続けた。1996年7月のロシア海軍創設300周年記念観艦式においては、受閲部隊の旗艦を務める。1997年には大韓民国日本を表敬訪問した。1999年に小規模な火災事故を起こし、ウラジオストクのダーリ・ザヴォートで修理された。
2001年には、ヴァリャークをモスクワ総主教アレクシー2世が訪問した。2002年秋には日本の海上自衛隊の50周年記念国際観艦式に参加、東京湾を訪れた。さらに、2004年には先々代の巡洋艦ヴァリャークが参加し激戦の末沈没した仁川沖海戦100周年を記念して大韓民国を訪問した。この他、中華人民共和国をたびたび訪問している。
本艦の母港は、ウラジオストク近郊のストレロク(シュトコヴァ17)基地であるが、実際には、太平洋艦隊旗艦という性格上、ウラジオストクの太平洋艦隊司令部ビルの前の埠頭に、ウダロイ級駆逐艦4隻と共に停泊している事が多い。2006年春からはウラジオストク工廠でオーバーホールを開始し、2008年1月16日より海上テストを開始、2月9日付けで正式に艦隊へ復帰した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ヴァリャーク (ミサイル巡洋艦・2代)」の詳細全文を読む




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